産経必死だな

寝る前に、上に挙げた社説へのつっこみ作業をしてみやうw
長いので折り畳んどきます。興味のない人はスルーでおながいします。

いうまでもなく産経新聞は「正論路線」に立脚している。これは冷戦時代のさなかに策定された「産経信条」(昭和四十五年)の「民主主義と自由のためにたたかう」にもとづき、西側陣営にたって、社会主義国イデオロギーや軍拡路線、非人間性を批判してきた路線を指す。

ここでいう「正論」って、あの『正論』ですよね?
確かこれって、新しい教科書な人たちも原稿書いてたと記憶してます。個人的なイメージとしては似非右翼の機関誌ぐらいに思ってるのですが、あれが産経の本音だっていうことなのかなぁ。

しかるに堀江氏はAERA誌で「あのグループにオピニオンは異色でしょ。芸能やスポーツに強いイメージがあるので芸能エンタメ(注=娯楽)系を強化した方がいいですよ」と語り、編集部も堀江氏は正論路線にあまりお金はかけたくないという、との解説を付記している。

さらには「新聞がワーワーいったり、新しい教科書をつくったりしても、世の中変わりませんよ」と語る堀江氏の発言を「氏特有の冷めたメディア観」とたたえてもいる。しかし、この特集記事にあふれていたのは「エンタメ」「金融・経済情報」といった類の言葉ばかりで、新聞づくりの理念はうかがいしれなかった。

経済合理性の観点からメディア戦略を構築しようとしているだけで、言論・報道機関を言論性でなく、むしろそうした色あいをできるだけ薄めた情報娯楽産業としかみていないのは驚くべきことといわなければならない。

ノ はーい、堀江くんの意見に賛成でーす。


フジサンケイグループ=フジテレビ=芸能・スポーツ」
このイメージは私も全く同じですし、フジテレビやニッポン放送サンケイスポーツの提供するコンテンツからは、産経新聞が全面に押し出しているらしい言論性とやらは全く感じません。
報道がワイドショー化していることからも解るように、今の世の中、言論性をいくら高めたところでそれを理解しようとする人間は少数派で、大多数の視聴者は「何つまらないことを言ってんだ。面白いことを言え」とそっぽを向いてしまうわけです。グループ各社はその「面白いこと」が得意なわけですから、そちらに特化した方がビジネスとして効率がいい…と考えるのは当然といえば当然でしょう。


っていうか、「経済合理性」ばっかり考えて「言論・報道機関を」「情報娯楽産業」に堕落させたのはあんたら報道屋自身だろうとw

マスメディアは、国民の「知る権利」の担い手である。民主主義社会を支える役割があり、国のあり方にも大きな影響を及ぼす。だからこそ、報道・論評の自由を有している。

そして、その自由を守るために、そこに属する人間は、責任の自覚と自らを厳しく律する精神が求められる。経済合理性では割り切れぬ判断を迫られる場面もある。

堀江氏の発言からメディア集団に深くかかわることへの気概や、責任の重さに対する、ある種の畏(おそ)れが感じられなかったのは残念である。

待て待て待て、「報道・論評の自由」って何だそれは。報道機関は何をしてもいいってどの法律のどこに書いてあるんだ。自らを特権階級と称するとはいいご身分ですなぁw

「正論路線」の否定は産経新聞が果たしてきた憲法改正論や、また中国報道や歴史観の歪(ゆが)みの是正、あるいは北朝鮮による拉致事件報道に対する挑戦である。これらは二十年、三十年単位で積み重ねてきた結晶であって、「あのグループにオピニオンは異色でしょ」の一言で一蹴(いっしゅう)されていいものではあるまい。

憲法を変えて何をするつもりだ?
戦争を美化しながら愛国心を煽って何をするつもりだ?
中国や北朝鮮に対する敵愾心を煽って何をするつもりだ?
「国のために人を殺せ」「国のために死ね」って言うのか?

同時に路線の否定は大型コラム「正論」の百八十人におよぶ執筆陣にたいする冒涜(ぼうとく)でもある。

堀江氏はこれらにどう答えるのであろうか。

「そんなもんイラネ」って答えるに決まってるではw